私が見るに、精神的な病、ことに統合失調症などのうち、一部の人については個々の持つエネルギーの強さにより発症するかしないかが決まってくるように思えてきた。
そもそも持っているエネルギーが弱い人はならない病気ではないかと思うのです。
以下、私の仮説となりますが良かったら読んでみてください。
統合失調症とは
幻覚や妄想といった精神症状や意欲、自発性の低下などの機能低下、認知機能低下などを主症状とする精神疾患とされる。
主に思春期から青年期にかけて発症し、男女比は1:1とされますが、男性の方が重症化しやすいことが指摘されています。
出典:メディカルノート「統合失調症」より
以下、私見となります。医学的エビデンスはなく、あくまで私が感じた仮説を書きます。
発症原因は?
統合失調症の治療薬はドーパミン拮抗作用があることが知られており、ドーパミン過剰が大きく作用している可能性が考えられています。
しかし、発症に至る詳細な作用機序は未だ解明されておらず、また遺伝的気質によるものも指摘はされていますが、発症リスクを高める効果を持った遺伝子は特定されてはおりません。
出典:メディカルノート「統合失調症」より
ひとつの仮説
ここでは単純に発現するトリガーとなりうる理由のみを考えていきます。
そうすると患者の脳内においてはドーパミン過剰の可能性が考えられます。
しかし、何故ドーパミンが過剰になるのでしょうか?
私のイメージでは、恐らくその罹患者の中では「何か」と常に戦闘状態にあるのではないかと感じています。
ドーパミンとは脳内における神経伝達物質で、アドレナリン、ノルアドレナリンの前駆物質でもあります。
アドレナリンについてはよく知られた通り、交感神経優位の状態を生み出し、ストレスに対する反応を全身の器官に引き起こす作用があります。
つまり、危機やストレスに対して闘う、あるいは逃避を図るために心筋収縮力の上昇、血管拡張、瞳孔散大など体を順応させる、つまりこれが分泌されているという事は強いストレスか、生命の危機、あるいは「何か」と闘っている状態であるのではないかと考えられます。
一部出典:ウィキペディア「ドーパミン」「アドレナリン」より抜粋
「何」と闘っているのか?
結論から言えば、
『自分自身』
だと思います。
罹患者内部における葛藤と自分自身との闘争の中で、常に戦闘状態にあると思うのです。
常に対抗する2つの「力」
罹患者の心の中では、恐らく激しい内部対立が発生しているのではないでしょうか。
壮絶な潰し合い。
お互い相手が消えてくれれば自分も消える(死を迎える)。
そうすればこの闘いは終わる。
そのくらいの悲壮感を抱いているのかもしれません。
しかし、存命のうちは終わることは恐らくありません。
その構造を理解していないからです。
つまり、
対立している相手も自分
攻撃しているのも自分
共に自分自身であると言う事です。
対立はどこから来ているのか
人間とはいい加減な生き物で、その心の中は規範意識と相反する悪意の間で、行ったり来たりをしています。
どんな素晴らしい人格者でも、どこかにズルい要素やワルの気質があったりするものです。
しかし、それが悪さをしないのは、その当人の「正義」がワルの気質の優位に立ち、その正義を以て正しく統御を続けているからです。
通常、大体の人はその正義(≒価値観)で折り合いをつけています。
統合失調症の罹患者はそうなっていない?
しかし、統合失調症の罹患者の頭の中はそうなっていないのではないでしょうか。
仮に善悪とすれば、どちらの価値観も同レベルで並立しており、恐らくどちら優位というのが定まっていないのではないかと思うのです。
どちらの立場の考え方にも共感ができ、双方の主張に一理ある。と考えることが出来る人ほどその解に迷うのではないでしょうか。
つまり「どちらも正しく」「どちらも正しくない」状態。
どちらにも理想や憧れを抱くものの、優位が決まらないため決められない。なり切れない。
そのため内部には、苛烈な葛藤と足を引っ張る相手(それも自分自身)に対する怒りと憎悪に走り、どんどん悪化していきます。
このあたりでは恐らくまだ統合失調症の陽性症状か、そのなりかけくらいのイメージです。
この辺の内部対立構造や、優位の決まらない両性的気質は、もしかしたらロールシャッハテストなどでも炙り出せるかもしれません。
真面目な人ほど悩みやすく、病みやすい
俗に言う真面目な人ほど、世の中の情報や価値観の相違を真に受けます。
そして真実はどこにあるのかで迷いやすいのです。
もちろん、本人が悪いわけではありません。
しかし、真面目ゆえ真に受ける分悪い方向にループして悪化しやすい傾向があるのではないでしょうか。
膨大なエネルギー量をもつ統合失調症罹患者
その内部対立構造により激しく闘い続けた結果、その決着はどちらの気質も強いため、時を経ると徐々に分かれてくると思うのです。
①それでも闘い続ける→陽性症状
②闘いに疲れ意欲を失う→陰性症状
陽性症状における幻覚や幻聴は恐らく自分自身の声なので逃れらません。
そして「そんなことはない!」と怒りを感じているのも自分自身ということになります。
攻撃をしながらその攻撃を受け、その攻撃に怒りを感じている状態。もうぐちゃぐちゃです。
そして、自分との闘いに疲れもう何をやっても勝てない。
でも諦めることも納得できない。
となると激しい無力感に苛まれる事となります。
そうすると無気力や意欲の減退、感情表現が乏しくなる等のうつ病に似た陰性症状が出てくるのではないかと思うのです。
どちらにしても延々と自分自身への憎悪を持ち続け、闘いを続けるのは、凄まじいエネルギーが必要となります。
特に陰性症状にまで行ってしまうと「燃え尽きた」状態ともいえ、深刻な状況なのではないでしょうか。
強力な「毒」にも「薬」にもなりうる気質
しかし、それならばどちらかに整えてあげれば正常化する事になります。
そのためには葛藤を乗り越えどちらかに自らの心を統合する必要があります。
つまり、自らの中にある「正義」と「悪」(あるいは陰と陽とも言える)の優位を決める必要があるのです。
しかしながら、前述の経緯からどちらの気質も強力で理解する力のある統合失調症罹患者は、どちらの立ち位置においても強力で、「聖人レベルの人格者」か「サイコパスレベルの極悪人」になれる資質とその可能性があるということになります。
そして、何より当人がその葛藤に一番苦しんでいるのではないかと思うのです。
天才とは紙一重
それは両側面の価値観において、どちらが正しいのか迷ってしまっているからに他ならず、しかし、それは転じてどちらの価値観も肯定できる思考の柔軟性や、ある種の優しさ、懐の深さ、そしてどの立ち位置の立場も理解できる頭の良さが根底にあるのではないかと思うのです。
つまり、知能は総じて高く、実は浮きこぼれが多いのではないでしょうか。
そのため周囲の理解は乏しく、しかしそれは当人の問題ではなく、周囲がその人のレベルについてこれていない可能性もあったのかもしれません。
だからこそ、その周囲の無理解に苦しむ思春期や青年期での発症率が高いのではないかとも思うのです。
正しく活かせれば強力な力になる
とにかく「普通でない」存在を嫌い、ノーマライゼーションが大好きな日本人気質からしてみれば、こういう人たちは批判と攻撃の対象でしかないかもしれません。
しかし、そのあらゆる思考や立ち位置を理解できるが故の迷いは、上手く活かすことで世の中や社会にとって必要な知恵を還元できる可能性を秘めているのでは無いかと思うのです。
但し、この仮説が正しければ。の話ですが。
しかし、世界は多様性を容認する方向へ向かい、多様な人材がその能力を遺憾なく発揮し、またそうしなければ持たないであろうこの国の未来において、「人の活かし方」という考え方はますます重要になると思います。
これはあくまで私の私感による仮説であり、医学的根拠はありません。
しかし、もし私の仮説が正しいのであれば、こういう人達にも活躍の場を与え、正しく評価される仕組みも必要になるかもしれません。
また、こういう仮説を書くことにより少しでも罹患者への理解が進んだり、苦しむ人の気づきになる事は、私が涯学庵ブログを立ち上げた趣旨にも合致するものであります。
賛否あるかとは思いますが、想いを書かせてもらいました。
~おわり~
最後までお読みいただき、ありがとうございました。